karutablog

主に哲学、日常、人生などの事を書いていこうと思います

【人間関係を悩む原因は⁉】

・皆さんは人間関係で悩んだことはありますか??

 

社会人も学生も恐らく大抵の人はこの人間関係で

悩んだことがあると思います。

 

家族、友達、恋人、人間と、他人と関わっていると

色んな問題に悩みを抱え、時には全員が鬱陶しく感じる事もあります。

 

人間関係にも原因は一つではないですし、

お金がトラブルになり良い関係を壊してしまう可能性もあります。

 

人間関係を築くにはどうしても感情のぶつかり合い

必然的に起こります。

 

正直、お互いのエゴがぶつかり合っているだけです。

 

他人を想いやる偽善の心が他人と関わって生きていくには必要です。

 

相手を想っているようで、考えると自分のエゴだと言う事に気づいていない

人達が沢山いるように思います。

 

・『あなたの為に、友達の為に。』

・『恋人の為に、家族の為に。』

 

こんな言葉が既に自分のエゴだと思います。

 

人間関係なんて所詮は暇つぶしの馴れ合い、

そんな風にも思います。

 

気持ちは受け取る側がどう感じるかなのです。

自分発信の感情がいつも正しい訳ではありません。

 

人間相手に怒ったりするのは基本意思疎通が出来ていない事が多い。

相手に理解してもらえない自分のエゴが大概です。

 

それを理解すると、子供も大人も喧嘩になる原点はエゴに過ぎません。

皆、人間は愚かな生き物です。少なくとも私はそう思います。

 

・下らないと思う喧嘩を見たことはありませんか?

下らない喧嘩をしたことはありませんか?

 

何であんなに怒っていたのだろうと冷静に考えると

笑ってしまう事もあります。

 

この感情は全くもって完璧ではありません。

 

感情は曖昧なもの、、そうでなくては人間らしさが無く喜怒哀楽の

必要性がない、そんな風に思います。

 

争いがある、悲しみがある、喜びがある、楽しみがある。

それが感情であり人間なのです。

 

他人のエゴは、感情は分からないのです。

予測する事しか出来ません。

 

怒っているようで、楽しんでいる人。

悲しんでいるようで、怒っている人。

 

感じ方はそれぞれなのです。

 

ですが、、諦める事でもない。

 

良い関係を築くには想いやりと言う偽善が無ければ成立はしない。

 

自分は偽善者利己主義者と理解した上で接して見て下さい。

少し他人を見る目線が変わります。

 

客観的に自分も他人を冷静に考えられるようになりやすいです。

 

知識がある人、無い人では見方が違いますし、

接し方までも変わりやすいのです。

 

知っているからこそ、諦めが、妥協が出来ます。

 

偽善者と認めない偽善者これが一番厄介なのです。

 

絶対に自分が正しいと思っている人は頑固で視野が狭い。

常識を正しいと決めつけるのは凄く危険で愚かだとも思います。

そもそも常識や、善悪を作ったのは人間です。

それを作った人の顔も恐らく知らない人が多いでしょう。

 

生きやすく守るべきところは守る。

生きにくいのにルールを守るのは果たして利口なのでしょうか。

判断するのはいつも自分です。

 

例えば、大切な人が暴力を振われていたいたら

何もせずにルールに従いますか?

人を暴力で傷つけてはいけない、そう教えられていたとしても

その常識は正しいのですか。

 

見えないところでルールを破っている人は多い筈です。

 

・ルールを守らない=悪人、ルールを守る人=善人。

これは間違いなのでは?

 

何事も疑うと言う疑心の心が人間関係にも必要なのです。

疑念を信じ、信じられて初めて信頼になります。

 

疑う事は悪い事ではありません。

 

人間に備わった、生きていく為の自己防衛の本能の一つ。

私はそう思います。